テルマエ・ロマエなニューヨーク公衆浴場事情

ニューヨークの公衆浴場 NEW YORK
ニューヨークの公衆浴場

アメリカに住んでいると、恋しくなるのが家族や友人と日本食。そして、お風呂と温泉にも浸かりたいですよね。アメリカにも水着で入るジャグジーやスパ文化はありますが、入浴文化はありません。しかし、実は、ニューヨークにも皆で一緒にお湯に浸かっていた時代があるのです。ここでは、ニューヨークの公衆浴場事情とその歴史について触れてみましょう。

ニューヨーク公衆浴場の変遷

ニューヨークの公衆浴場運動は1849年のニューヨークで始まりました。その背景には、急速な都市化と移民の増加があります。少額の料金で誰もが利用できる公衆浴場と洗濯場を建設し、公衆衛生改革、それに伴う市民生活の質の向上が目的でした。

公衆浴場の必要性を提唱(19世紀半ば)

19世紀半ば、移民の多い地区、特に過密な住宅で、公衆浴場の必要性が問われました。当時は、配管設備が発達しておらず、住民は屋外ポンプや川などで体を洗っていました。

しかし、こうした不衛生な環境下でコレラや腸チフスのような病気が蔓延。公衆衛生の専門家たちは、「誰でも利用できる入浴施設が必須」と考えました。

そこで、改革者たちはニューヨーク初の公衆浴場建設に乗り出します。1850年代のことでした。しかし、初期の頃は、港の近くに併設された粗末なもので、労働者や船員が体を洗い、洗濯する程度のものでした。

公衆浴場の黄金時代(1895~1930年代)

その後、5万人以上の都市では無料公衆浴場の設置を義務化する州法が可決。そこから一気に公衆浴場運動に火がつき、市は13の公衆浴場建設に乗り出しました。これが、ニューヨーク市における、実質上の公衆浴場の始まりとなります。1895年のことでした。

公衆浴場の多くは、ヨーロッパを参考に壮麗で豪華なスタイルの浴場作りを目指します。まるで、ヤマザキ・マリさん作の「テルマエ・ロマエ」のローマ浴場のようなものです。施設内には浴槽の他、プールやシャワー、スチームルームなども備えていたといいます。豪華にすることで、労働者階級に衛生意識を植え付け、利用を促すことが目的でした。

ヨーロッパではすでに人気があったこの運動は、ニューヨークから始まり、フィラデルフィア、ボルチモアなどのアメリカのいくつかの都市へと広がりました。ミズーリ州セントルイスに最初の公衆浴場がオープンするまでに、アメリカ40都市で公衆浴場が稼働していたそうです。

公衆浴場の衰退(1940年代~1960年代)

その後、一気に公衆浴場の時代が花開きます。人々は大きな浴槽に浸かり、移民同士の交流の場としての役割も担うようになります。

しかし、20世紀半ば頃、市の集合住宅でも屋内配管や浴室の設備が整い始めます。結果、公衆浴場の重要性が急速に低下し、利用者が激減することになりました。そして、役割を終えたものから取り壊されたり、用途変更の道を辿っています。

歴史を伝える公衆浴場の跡地

一連の公衆浴場運動は、1840年代のニューヨークで始まりました。そして、1901年から1914年にかけて市営13の公衆浴場が誕生します。現在、元の形を残す公衆浴場はほとんど残っていません。しかし、現存するものに、「アッサー・レヴィ浴場」があります。この浴場は、現在、レクリエーション・コンプレックスの一部として利用されています。

ピープルズ バスThe People’s Baths (1891)

場所:Lower Eastside, Manhattan
歴史:1891年、サイモン・バルーク博士(Dr. Simon Baruch)によって開設された浴場施設です。貧困層に手頃な価格で公衆浴場を提供する初の試みでした。1回の入浴料はわずか5セントでした。
現在の状況:元の建物は再利用され、元のデザインの大部分を失っています。しかし、公衆浴場運動の先駆的な場所として重要な歴史的意義を持っています。

9 Centre Market Place,
New York, NY 10013
(Grand St. bet Centre and Mulberry)

アッサー レヴィ公衆浴場Asser Levy Public Baths(1908)

場所:Gramercy Park, Manhattan
歴史:1908年にEast 23 Streetに建てられた浴場施設です。そして、現存する数少ない歴史的浴場の1つです。設計はアーノルド・W.・ブルナー(Arnold W. Brunner)とウィリアム・マーティン・エイキン(William Martin Aiken)です。ロマネスク様式とルネッサンスリバイバル様式を融合させた建物が特徴的です。
現在の用途:現在は、アッサー・レヴィ・レクリエーション・センターの一部です。フィットネス施設、プール、その他レクリエーション設備を備えています。
名残:建物の外観から、浴場として使用されていたことが分かります。壮大なアーチ、精巧な石細工など、歴史的なデザインを垣間見ることができます。

Asser Levy Recreation Center
392 Asser Levy Pl,
(388 Avenue A)
New York, NY 10010
https://www.nycgovparks.org/facilities/recreationcenters/M164

リヴィントン・ストリート浴場Rivington Street Public Bath(1901)

場所:Lower East Side, Manhattan
歴史:1901年、マンハッタンのローワーイーストサイドに開設された公衆浴場です。衛生設備がほとんどない、もしくは低所得者用住宅の住人向けに用意されました。設計はアーノルド・W・ブルンナー(Arnold W. Brunner)です。ボザール様式(Beaux-Arts)の左右対称デザインやディテールが特徴的です。そして実用的な建物にも関わらず、壮大な作りに仕上げられています。労働者階級や移民コミュニティにサービスを提供した、最初の市営浴場の1つです。異なる民族や文化的背景を持つ住民同士の交流の場としても重要な役割を担いました。
現在の用途:最終的に閉鎖され、廃墟として残っています。

326 Rivington St., Public Bath
New York, NY 10002

イースト11thストリート浴場East 11th Street Bath (1905)

所在地:East Village, Manhattan
歴史:この建物は1904年から1905年にかけて建設されました。アーノルド・W.・ブルナー(Arnold W. Brunner)の手によるもの。ネオイタリアルネッサンス様式で設計されました。密集した移民コミュニティにサービスを提供し、運動最盛期に営業していました。
現在の状況:建物は改装され、現在はアートスタジオとして再利用されています。
名残:建物の外観は、石造りのディテールとアーチ型の窓。市営浴場のオリジナル性を保ち、現在に至っています。

538 E 11th St,
New York, NY 10009
https://www.bathhousestudios.com

5 ラトガース・プレイス公衆浴場5 Rutgers Place Bathhouse(1909)

場所:Lower East Side, Manhattan
歴史:この浴場施設は、1900年代初頭に建設。ホワイトハウスの愛称を持ち、ロウワー・イースト・サイドの人口密集地に住む移民コミュニティに対応していました。この地域は人口密度が非常に高く、公衆衛生改革で重要な役割を果たしてきました。さらに、浴場としてだけでなく、最上階には体育館を併設し、球技や陸上競技の会場としても利用されました。また、他の市内の浴場と同様、男性と女性は別々の日に利用していたようです。
現状:1957年、13棟1,100戸からなる複合施設ラガーディアハウスの建設とともに周辺の住宅は地図から姿を消しました。しかし、ボザール様式の公衆浴場跡は廃墟として残ったままです。

5 Rutgers Place Public Bath
New York, NY 10002
(bet Madison & Jefferson)

ヨンカーズ公衆浴場 No.3Yonkers Public Bath House No.3 (1909)

所在地:Yonkers, NY
歴史:別名、Yonkers Avenue Poolとも呼ばれています。ニューヨーク市外ですが、市周辺都市部の公衆衛生を改善する運動の一部でした。1909年に建てられた建物は、2階建ての赤レンガ造り。第二次ルネッサンス復興様式の鮮やかなタイル装飾が施されています。内部は、受付、管理人部屋、プールとシャワー、3セクション構成です。1930年と1958年に改装され、1985年に国家歴史登録財に登録されています。
現在の状況:現存し、再利用されています。歴史的な建築要素を保ちつつ、当時の様子を今に伝えています。
名残: 外観は20世紀初頭の古典的な浴場デザインが特徴。当時の建築トレンドを反映しています。

ブルックリン公衆浴場 No.7Public Bathhouse No.7(1910)

所在地:Park Slope, Brooklyn
歴史:1910年オープン。公衆浴場運動の最盛期に、ブルックリン労働者階級に利用されていました。
現在の用途: 浴場としての機能はすでに失われています。しかし、建物はスポーツジムに改装され活用されています。
名残:外装は、20 世紀初頭の市営建築に典型的なアーチ型窓やレンガ造りです。「PVBLIC BATH」の文字があるなど、歴史的な魅力が多く残されています。ファサードにも元の建築ディテールが残っています。

227 4th Ave.,
Brooklyn, NY 11215

ビークマン公衆浴場Beekman bath house(1911)

所在地:Upper East, Manhattan
歴史:公衆浴場運動の最盛期に建てられた13施設のうちの一つです。この地区は主にアイルランド人が多く住む地区で、工場労働者、労働者、醸造所での重労働に従事する男性たちが住んでいました。建物にはジム、ランニングトラック、屋上には遊び場も備わっていました。
現在の状況:1930年代に浴場は閉鎖、建物は地域のレクリエーション・センターとして改装され、現在に至ります。

Constance Baker Motley Recreation Center
348 East 54th St.,
New York, NY 10022
https://www.nycgovparks.org/facilities/recreationcenters/M130

ハーレム公衆浴場 No.3Harlem Bathhouse Public Baths No.3(1925)

所在地:Upper West, Manhattan
歴史:公衆浴場運動の最盛期に建てられた施設です。ハーレムで増加する移民や労働者階級の住民に利用されました。公衆浴場運動は1915年に実質的に終了しています。しかし、この建物は1907年に工事開始、1925年に完成。1920年代後半オープンと記録されています。重要な公衆浴場要素を備えた市営の建物としては、これが最後のものとなります。
現在の状況:ハンズボロー・レクリエーション・センターとして使用されています。
名残:水泳プールは特に魅力的です。壮大な天窓とプール周りのエレガントなモザイクタイルが印象的です。

Hansborough Recreation Center
35 West 134th St.,
New York, NY 10037
https://www.nycgovparks.org/facilities/recreationcenters/M131

トンプキンス・スクエア公衆浴場Tompkins Square Public Baths

場所:East Village, Manhattan
歴史:移民の多いイースト・ヴィレッジ地区住民のために建設。小規模な公衆浴場でした。これは公衆浴場運動のピーク時に建設されたものの一つです。
現状:跡地は公園に隣接するコミュニティスペースの一部として活用されています。
遺産:公園は引き続きレクリエーションの場として機能し、歴史的背景を感じさせます。

ウィリアムズバーグ公衆浴場Williamsburg Public Bath

場所:Williamsburg, Brooklyn
歴史:20世紀初頭に労働者階級の住民向けに建設されました。急速に都市化が進むブルックリンで、公衆衛生の向上に寄与していました。
現状:取り壊された可能性が高いですが、詳細な記録は残っていません。
遺産:ウィリアムズバーグの再開発でエリアの様相は大きく変わりました。しかし、地域の歴史家たちが当時の文化的遺産を調査し続けています。

《他の主な公衆浴場》
The Mott St(数年で廃業)
West 60th St
East 38th St(Milbank Memorial Bath)
325-327 East 38th Street
現在は、インドネシア国連代表部として再利用されています。

その他

この他にも、ブルックリン、ブロンクス、クイーンズなどに公衆浴場が建てられました。これらの中には、特定の地域にサービスを提供する質素で小規模なものもあります。しかし、1940年代以降、そのほとんどが姿を消していきました。

  • マッカレン公園プール(Brooklyn)
    McCarren Park Pool
    大恐慌時代のWPA(公共事業促進局)のプロジェクトの一環として建設。公衆浴場から現代的な公共施設への移行を反映しています。
  • ブライトンビーチ浴場(Brooklyn)
    Brighton Beach Bath
    私営施設でしたが、公衆浴場運動の影響を受けた施設の一例です。1990年代に閉鎖。しかし、共同浴場文化がレクリエーション施設の設計に与えた影響を物語っています。
  • ユダヤ教の儀式用浴場(ミクヴァー)
    Jewish Ritual Baths(Mikvahs)
    公営ではありませんが、ユダヤ教の儀式用浴場としてミクヴァーが利用されました。宗教的な意味合いが強く、現在もボロー・パークやクラウン・ハイツで見かけられます。

文化と建築の遺産

公衆浴場建築で用いられたのは、ロマネスク様式やルネサンス復興様式でした。そして、その後の学校や図書館、その他公共施設の建築に大きな影響を与えました。また、歴史家やランドマーク保存委員会などでは、こうした遺構の保存、記念碑建設の活動を進めています。特に、ロウワー・イースト・サイドやイースト・ヴィレッジなどでは、こうした場所を巡るウォーキングツアーも開催されています。ニューヨーク公共図書館や博物館などには、当時の写真や記録などのアーカイブが保管されていますので、ご興味があれば覗いてみてください。

現代の浴場文化

伝統的な公衆浴場は姿を消してしまいましたが、浴場文化は形を変えて残されています。イーストビレッジのロシア風呂やトルコ風呂の中には、1892年から運営を続けているところもあります。ここ数十年で、現代的なスパ、ウェルネスセンター、高級浴場がその地位にとって変わったのです。そして、新しい層に共同入浴の概念を取り入れてます。また、日本の

ロシアン・アンド・トルコ・バス
Russian and Turkish Baths (1892)

所在地:East Village, Manhattan
歴史:創業以来、個人所有のこの浴場は、ローワー・イースト・サイドの移民コミュニティを対象として運営。スチームルーム、プランジプール、その他の伝統的な入浴体験を提供してきました。
現在の用途:現在も営業しています。各種サウナ、スチームルーム、冷水プランジプールを備えた本格的な旧世界の浴場体験を味わえます。タイル張りの内装や伝統的な入浴儀式など、オリジナルの特徴の多くがそのまま残っています。
名残:施設はほとんど変わっていません。訪れる人は20世紀初頭にタイムスリップしたような気分になるでしょう。

268 East 10th St.,
(Bet 1st Ave & Ave A)
New York, NY 10009
https://www.russianturkishbaths.com

近年、公衆浴場文化は新しい形で復活を遂げています。かつての公衆浴場のコンセプトを引き継ぎ、リラクゼーションや健康を重視した高級スパ「Aire Ancient Baths」。日本のスーパー銭湯をイメージしたSOJO SPA CLUBSPA CASTLEなど。こうした新しいサービスも、ニューヨークに住む温泉愛好家の間で人気を集めています。

都市再開発や持続可能な設計。こうしたものへの関心が高まる中、公衆浴場の復活に向けた議論も少しずつ進められています。ニューヨーク市の公衆浴場は、都市の成長と変化を映し出す象徴的な存在。過去の遺産としてだけでなく、現代においても新たな可能性を秘めています。これらの施設が果たした役割を再評価しましょう。その結果、未来都市デザインやコミュニティのあり方について、多くの示唆を得られるでしょう。

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